
チャンネル登録者数が41万人を超えていれば(2019年6月末現在)、立派なユーチューバーではないだろうか。ソロキャンプの模様を淡々とアップする動画が受け、再生回数が100万回を超える動画がいくつもある。それでも、その男は自らの肩書きを「ヒロシ」と言う。そこには一世を風靡した“です”もなければ、自虐的なギャグもない、あるがままの「ヒロシ」がいた。好きなことを自分の思う通りに続けていく。そんなヒロシさんの“好き”を追う。
「テレビ出演を減らそう」と思った
2004年、「ヒロシです」でブレークしたヒロシさん。その売れ方はものすごく、月収が4000万円に届くこともあったほど。
「ブレークした後、バラエティ番組に出るようになったんですが、そこは自分がやりたいネタ勝負の場ではなかったんですね。それに極度の人見知りだったこともありテレビに出演するのがつらくなって、事務所とも話してあまりテレビに出ないようにしたんです」
2010年前後、テレビには出たくないという気持ちを持ちつつ、自分で生活できて、なおかつエンターテインメント性のあることができないかを考え続けていたヒロシさん。

「当時から、漠然とネットには何かあるぞとは思っていたので、とりあえずネットでラジオのようなことをやっていましたが、視聴者数も伸びず1、2年で辞めました。あとは、ライブハウス経営をしたかったんです」
自らもバンドをしていたことで、自分でライブハウスを経営すれば、高いスタジオ代もいらず、ライブもタダでできるという思いがあった。さらに知り合いの会社経営者が地下アイドルビジネスを展開しているのを見て、意外に儲かることを知ったこともライブハウス経営を志すキッカケとなった。

「本気で1年間は物件探しをしていました。物件ごとに事業計画もしっかりと立て、よそのライブハウスの単価や、スタジオ代も調べ、どうすれば採算が取れるかも考えました。でも、どこの物件も大家がとにかく厄介で。ライブハウスって特殊な物件なんで、条件がどんどん変わるんですよ。最初は1階のフロアを貸してくれるはずが、いよいよ契約となると2階も借りろと。それも仕方がないと承諾したら、今度は1棟丸々借りろって。無茶苦茶な契約スタイルですよ。いい加減うんざりしてライブハウスは諦めました」
その後、紆余曲折を経て、現在はカラオケスナックだった店を借り、カフェ兼事務所として「FOREST COFFEE」を開いている。そこを拠点にしたのが、2015年のことだった。
大勢でキャンプ行くのが、本当に面倒くさい
では、ユーチューバーとしてのヒロシさんは、どこから生まれたのだろうか。
「キャンプの前に釣りにハマってました。2009年頃のことです。でも、釣りに飽きてキャンプに移行した感じです。キャンプそのものは、小学校の頃から好きでした。ただ、1人でやるソロキャンプにハマるのは、YouTubeを始める1年ほど前、2014年ごろからやるようになったんです」
ソロキャンプの前は、大勢でキャンプにも行ってたというが……。
「もうダメです。大勢では行きたくないです。面倒なんですよ。キャンプ道具を準備するのは、一番詳しいってことで俺がやらなきゃいけないし、迎えにも行かなきゃいけない。雨なんて降ろうものなら、家に帰ってきて干すのだって一苦労。なんで俺は好きなことでこんなきつい目に合ってるんだろうと思いました。こんなことなら1人で行けばいいんじゃないかと思って始めたのが、ソロキャンプです。もう圧倒的に自由でした」

ただ、初めてのソロキャンプは開放感はあったもののテントで1人、夜を過ごすのは怖かったという。そんなこともあり、しばらく足が遠のいたが、芸人仲間でも大勢で行くキャンプが煩わしいと思っていた仲間を見つけたことで、互いに干渉しない2人でソロキャンプへ行ったことで一気にハマったという。
「意外に僕と同じように考えていたキャンプ好きが芸人仲間にもいたんですよ。それで、焚火会というソロキャンプのグループを作りました。テントはそれぞれ自分のテントだし、飯も自分の分だけ。自分のことは自分で責任を負うスタイル。これにシビれましたねー。そこからは格段にペースが上がり、月に3、4回はソロキャンプに行くようになりました」
それ以降、徐々に仲間が増え、ソロキャンプ仲間も8、9人に増えていった。
自分だけの力で稼いだ数百円が、うれしかった
ヒロシさんが、キャンプの動画を撮り始めたのはごく自然のことだった。
「旅行に行ったら写真撮るじゃないですか。食べた料理とか、行った場所とか。それと同じです。最初は僕も写真でしたけど、スマホって動画撮れるじゃないですか。となると動画の方が楽しいんですよね。焚き火とか、炎がメラメラしているのを撮ったりしてたんですけど、今度は1日を動画で繋げたいと思いうようになって」
そうして繋げた動画は、キャンプ仲間と集まった時に見せて、キャンプ話で盛り上がったという。YouTubeへのアップは、仲間と一緒に見る際に動画の記録先として考えていた。さらにキャンプ仲間からは、ヒロシさんの動画がいいとほめられることがあった。

「『ヒロシさん、編集うまいですよね』とか、お世辞かもしれないですけど、それがうれしくてね。それに編集行為そのものが楽しかったんです。ほめられるし、楽しいわけだから続けますよね。
YouTubeが儲かるということも知ってはいました。ただ、実際に儲けているのはヒカキンさんとか、何年も前からやっている人で、俺なんて絶対無理だと思ってました。ましてやソロキャンプで、YouTubeで見られるためのセオリーなんてまるで無視した、動きもたいしてないし、喋りもないような動画ですからね。もちろん、心の何処かにひょっとしたらとか、あわよくばという気持ちもあった。それでまあ続けているうちに、どうも“収益化”っていうのができるらしいと。それやってみたら、本当にお金が入ったんですよ」
ある時、数百円が広告収入として振り込まれていた。月収4000万円と比べたら微々たる額だが、これがヒロシさんにとって何物にも代え難いうれしさとなった。
「だって全部自分1人で作ったんですよ、ゼロから。それを誰かが見てくれて、その広告収入が僕に入ってきた訳です。すごくうれしかったですねえ。それでまた楽しくなって、今日はキャンプ道具を見せてみようかなとか、とにかく自分が楽しいと思うことを撮影して編集してアップしていたんです。そしたら収入が増えて。だから、本当に趣味なんですよ」
こうしてYouTubeの「ヒロシちゃんねる」が生まれた。2015年のことだった。今、チャンネル登録者数は41万人を超えている。今、ヒロシさんはYouTubeがキッカケとなり、キャンプ関連の仕事で忙しくなっている。次回、“ユーチューバー”ヒロシさんの仕事に迫る。
text 頓所直人
photo 佐山順丸
記事元:d365