
参照:NIKKEI STYLE
マウンテンパーカ、リュック、スニーカーといったスポーツテイストの商品が、街着に通勤着にと大活躍している。中でも若者に人気なのが米国生まれのアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」だ。実は日本のノースフェイスの商品には、デザインや素材の使い方で、あまり知られていない数々の裏話があるという。そこで服飾評論家、石津祥介さんと「ザ・ノース・フェイス スタンダード」(東京・渋谷)を訪ねた。ゴールドウイン ザ・ノース・フェイス事業一部長の高梨亮さんに、ものづくりの背景や若者から外国人までをも引きつけるノースフェイスの魅力について聞いてみた。

販売しているアパレル品の98%が日本で企画
――街着にもぴったりのおしゃれな商品が多いですね。アウトドア衣料のイメージとはまた違う印象です。外国人のノースフェイスファンもこぞってやってくるとか。
高梨「ほとんどが海外では手に入らない日本のオリジナル商品なので、外国人のお客さまにも来ていただいています。実は当社が販売しているアパレル品の98%が日本で企画したものなんです。ゴールドウインは1994年に日本と韓国での商標権を取得しました。米国は本格的な登山向けのアウトドアウエアが主体ですが、日本ではカジュアルなラインも作っているんです」
――日本発で企画する商品が本家をしのぐ人気なのですね。アウトドアよりライフスタイルを意識しているのですか。
高梨「結果的にそうなりましたが、米国と違うブランディングを目指しているわけではありません。ただ、日本では商品企画でもマーケティングでもオリジナルの取り組みができるのが他の国とは違う強みといえますね。アウトドアのスタンダードな商品をベースに、日本市場に合わせて品ぞろえを編集しています」
石津「日本のノースフェイスが圧倒的にいいのはゴールドウインというスポーツウエアの背景があるからなんだ。もし普通のアパレルメーカーがやっていたら、ポケットを小さくするとか、余計な手を加えてしまったでしょう。ゴールドウインがやるから基本を生かして、無駄なデザインなどはしないんですよ」
――1階に並んでいる『パープルレーベル』というラインは、どのようなものですか。
高梨「ファッションマーケットにも入り込もうという思いで、ファッションに強いナナミカという子会社と開発しているラインです。1970~80年代のノースフェイスのアーカイブを基本に、形などを時流に合わせてチューニングします。こちらのCPOジャケットのベースは70年代、80年代のカバーオール。ヘビーデューティーなカバーオールには使うことのないメッシュを取り入れたように、機能性素材と当時のデザインが融合しているのが特徴です」
石津「カバーオールは70年代にVANでも作っていました。フランネルで総裏にして。当時、野球選手のウインドブレーカーはみな、カバーオールになっていました。うちはそれをコピーしたんです」
70年代にVANがノースフェイスを米国から引っ張ってきた
――石津さんがノースフェイスと出合ったのも70年代ですよね。
石津「これ、見てくださいよ(と、昔のカタログを取り出す)。70年代に日本で最初にVANがノースフェイスを米国から引っ張ってきたんだよ。輸入販売元になってね。そのときのカタログです。これは社内用でして、手作りなんで切り貼りもあって笑っちゃう」
高梨「このカタログはすごいですね。うちの会社でも見たことがないです」
――「76~77 ザ・ノース・フェイス カタログ VANスポーツ」とありますね。ダウン、テントにシュラフ、マウンテンパーカも出ています。
石津「VANでは当時、もう少しスポーツ色を強くしたかったんです。アイビーがだんだん下火になって、ヘビーデューティーとかコンチネンタルとか色々なファッション分野ができはじめていて、ひとつの立役者となるラインを探していました。でも、その頃のスポーツブランドはクラシックなものしかなかったの。そこで最新のノースフェイスに目を付けたんです。決定打はやっぱりダウン。日本ではダウンがまだ作れない時代でしたから、要はダウンやりたさのノースフェイスでした。今考えればそのダウンもすごく重かったんですけどね」
――40年以上前の商品とはいうものの、デザインは今の商品とそう変わりはありませんね。マウンテンパーカはこの当時でも2万5000円します。
高梨「カタログに掲載されているこのマウンテンパーカーはまさにこちらにある、うちのアイコン的商品の原型です。70年代のノースフェイスのマウンテンパーカは丈も長くて幅もたっぷりして、アウターウエアとしての要素が強く出ていますよね。でも今はご覧の通りサイズ感を時代に合わせてもう少しコンパクトにしています。素材は当時使われていたのと同じ、65×35クロス。ナイロンとコットンの比率が昔と同じ素材を使っています。値段は3万6300円です」
――高梨さんがきょう着ているアウターもすてきです。HYKE(=ハイク、人気ファッションブランド)のブランドロゴが入っていますね。
高梨「2018年から4シーズンHYKEとコラボしました。アウターの上に着るミリタリーコートをベースにしています。意図的に大きく作られた、ドカンとしたシルエットを踏襲しながらも、時代にフィットさせた商品です。ファッションブランドと組むのは、多くの女性とブランドの接点を作りたいからなんです」
石津「モッズコート(軍用パーカー)だね」
高梨「はい。定番のM-51みたいな感じ。化繊綿を入れ、防水透湿素材のゴアテックスを使っています」
――マウンテンパーカのジッパーの金具にはTALONとあります。
石津「昔はジッパーも日本製品が追い付いていないから、圧倒的にTALONが使われていました。そうか、ジッパーはTALONを使っているんだ。それにしても、うちの事務所(表参道)の前の通りを見てもノースフェイスを着ている男性が多くてびっくりしますよ。ロゴマークがあるからすぐ分かるわけ」
外国客から世界で販売してほしいという要望も
――爆発的な人気となったのには何かきっかけがあるのですか。
高梨「入社して10年になりますが、その間ずっと2ケタ成長を続けていて、この3年の伸び率は特に大きいですね。スタッフは10年前は20人くらいだったのが100人を超えるまでになりました」
「世界的にみて日本のノースフェイスが一番成功している最大の理由は、日本独自のチューニングがうまくいっていることです。ファッションの要素をしっかり取り入れているのが強みで、これが最近の『ファッション×スポーツ』のトレンドにちょうどはまったという事情があります。またここ数年、90年代のアウトドアウエアやスポーツウエアが注目されるなかで、当社の復刻版商品も人気を集めました。本来、当社の商品は契約上、日本でしか販売できませんが、外国のお客さまが、なぜ日本の商品が自国で買えないのか、ぜひグローバルで販売してほしい、と声をあげ始めています」
――90年代のノースフェイスといえばアウトドア用のダウンがストリートカルチャーを作りました。
石津「あと、僕の診断ではね、このロゴマークの存在感。ロゴマークはスポーツウエア系ならではの特徴で、街中で目立ち出すと皆の認知度が急上昇してぐっと人気が広がっていく。アウトドアはどうしても見た目が似た商品になりがちで、現代では機能的にもそれほど差はつけられない。すると勝負はロゴマーク次第になるともいえますよね」
――確かに目立つロゴマークですよね。
高梨「カリフォルニアにあるヨセミテ公園にある山、ハーフドームをデザインしたものです。3本は世界三大北壁であるアイガー、マッターホルン、グランドジョラスを意味しています」
――チャレンジ精神を象徴するロゴマークということですね。その精神を体現した多彩な商品をさらに見ていきましょう。
(聞き手はMen’s Fashion編集長 松本和佳)
石津祥介
服飾評論家。1935年岡山市生まれ。明治大学文学部中退、桑沢デザイン研究所卒。婦人画報社「メンズクラブ」編集部を経て、60年ヴァンヂャケット入社、主に企画・宣伝部と役員兼務。石津事務所代表として、アパレルブランディングや、衣・食・住に伴う企画ディレクション業務を行う。VAN創業者、石津謙介氏の長男。
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